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いざという時に・・・「かやの中に突入できる人間であれ」!!

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先日、SPECIAL ONE CLUBのセミナー終了後に、
今年度の特別講師をご依頼した白水園長、野村園長、岡村園長、
そして、もう1名の園長先生と後継者の方と私を含めた懇親会タイムにて・・・

園運営に関するいろいろな情報交換、意見交換をしながら会食をしていると、

「最近の先生達を見ていて感じることは?」

そんなテーマの話に突入しました。

そこで、パール幼稚園の野村園長の口から・・・

「地団駄を踏めない先生が多いんだよな~ 
とのフレーズが

目の前で起きているいろいろな事象に対して、
もっとよくできたのにと悔しがったり、憤ったりすることができない先生を見ていて、
異和感を感じるし、残念な気分になるということでしょう。

その日の野村園長の講義の中に、自分を動かしてきた原動力は何か?
それは・・・『意地と欲』
そんな話があったのですが、つまり、自分の仕事観や人生観の根底で
エネルギーになっている「意地と欲」を同じように持って奮闘している人と
それを感じない人とのギャップを感じるという嘆き
なのだと思います。

「意地と欲」があるからこそ、地団駄を踏めるんだ」ということでもありますよね。

その話に関しては、自分も同じような感覚を持っている人間であることを
あらためて見つめ直す機会になりました。

自分としては、自分のまわりで何かが起こったときに、

『”かやの中”と”かやの外”のどちらに自分のポジションを置けるかが大切』

だと考えています。

例えば、先日たまたまそれを目の当たりにする機会に遭遇しました・・・

お昼を食べようと、ラーメン屋に入って、ラーメンを食べていたときのことです。
突然、「バターン!!」と音がして、数秒後に女性店員から
「救急車を呼んで下さいという大きな声が店内に響き渡りました。

そして、私が後ろを振り返ってみると、そこには40代くらいの少し太ったサラリーマン男性が
椅子ごとひっくり返って、カラダ全体が痙攣をしているではありませんか
自分もこれはタダごとではないと察知して、ラーメンを食べている場合ではないので、
すぐに駆け寄って、横で支えているお客さんの男性と、連携をとりながら、
iPhoneを片手に、”痙攣したとき・・・”なんていうフレーズを検索して医者ではない自分でも
何ができるかを考えてバタバタしていたとき・・・

ふと、店内を見てみると、何事もなかったかのようにラーメンをすする人達
気にはしているが、こちらをちらちら見ながら動くことはしない人達
店のスタッフ達も我々にその場は任せて、特にサポートする様子もなく
救急車は呼びましたので・・・みたいな感じ 

全体の席数が40席程度のラーメン屋でお昼時の混雑時でしたから、30人程度は
店内で食事をしていたと思います。もちろん、全員がよってたかってもやれることは
そんなにないことはわかっていますが、それにしてもこの光景は何なんだ・・・

もちろん、目の前で痙攣している男性のサポートが最優先ではありますが、
自分は、その場の空間の異和感を同時に感じていました。

なんで、この状況でそこまで傍観者になれるのかな~?
なんで、この状況で、しらっとラーメン食べ続けてられるのかな~?

なんだか、その人たちを見ていて、
腹立たしい気分と淋しい気分の両方を感じている自分がいました。

このようななんだかすっきりしない気持ちが、
野村園長が「地団駄を踏めない先生が多いんだよな~
と感じている時の気持ちに近いのかな~とも思いましたね。

この例でもわかるように・・・

何かが身の回りに起こった時に、
そのかやの中に突入していく人間と急に、私は関係ないですよ~みたいな感じで、
かやの外に避難していく人間がいるのが今の社会なんだと思います。

こういうことが、自分達が生活したり、仕事をしている中で常に起こっているのでしょう。

Aさん:かやの中に突入していける人間

Bさん:かやの外に避難していく人間

AさんとBさんの考え方や行動の差は、そのまま人生の差になっていくんじゃないかな
個人的には思うので、ラーメン屋で自分は、突入していくことを自然と選択したの
だと思います。

それを、『当事者意識』と言ったり、『リーダーシップ』と言ったり、
『自己肯定感』と言ったりいろいろな表現方法はあると思いますが、
少なくとも、自分としてはその状況で、傍観者になったり、見て見ぬふりをするような
人間であることはできませんでした。
そんな自分だったら、単純に”かっこ悪いな”と思いますし、
自分の子どもにそんな自分は見せたくないと思いますしね

人間は、普段の想定された生活圏や仕事圏の中ではなかなかわかりませんが、
いざというときや想定外のことが起こった時に、
その人の本質がわかってしまうと思っています。

『いざというときに、当事者意識を持って、他人事ではなく自分事で行動できる人間』

そういう人や先生が減少している・・・という野村園長の嘆きには
今回のラーメン屋の体験も含めると、強く共感できますね。

いざというとき、想定外の事態が発生したときに、

かやの中に突入していける人間が、社会を良い方向に変えて、その中で
主人公になっていける人なんだと思います。

その逆に、そういうときは、急に傍観者となり、かやの外に急に避難していく人間は、
一生、主人公になれず、社会に振りまわされながら生きて行く人なんだと思います。

生き方は人それぞれ自由だと思いますが、自分は経営者でもありますので、
前者としての人間の役割があると思っていますし、そうなりたいとも思っているので、
普段からそういう意識で生活はしているつもりです。(もちろん完璧ではないですが

でも、確かに最近いろいろな生活シーンや仕事の現場にて、
傍観者、他人事、みたいな雰囲気を醸し出している、
いわゆる

”冷めている人””しらけている人” 
”他責思考な人””他者依存な人”

に遭遇する機会は多くなっていると思いますね。

そんな人が増えていくとまずいよな~とシンプルに感じてる自分がいます。
そんな人はぜんぜん魅力を感じないな~と思います。

教育現場にたずさわる人間として、そして子どもを持つ親として、
未来を担う子ども達に、何を伝えてべきかの1つに・・・

『かやの中に突入できる人間であれ』 

は入れておきたいと思いますね

今回は、懇親会での会話から、自分なりに感じたことを整理してみました。
共感してくれる方が多いことを願っております。

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