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都合の良い情報を鵜呑みにしない ~得意は努力と鍛錬で勝ち取るもの~

20190720

7月も後半突入ですが、気候的にまだ夏本番という雰囲気では
ないような気がしています。

自分よりも若い世代の人たちが

自分の得意なことはなんなのか?
自分の不得意なことはなんなのか?

と向き合いながら、もがきながら、自問自答しながら・・・
頑張って環境適応&社会適応しようとしているプロセスで相談にのる機会が、
一般の人よりはコンサルタントという職業柄多いほうだと思います

そんな流れの中で正直、昔よりもいろいろなことを判断するのが難しい
世の中にもなっていると感じることがあります

それは、もう少し内容をほぐして捉えると・・・

『選択肢が無限にあるというメリットとデメリット』

ということなのかもしれません

もちろん、昔から人がどんな職業を選択するのか、どんな職場を選択するのか、
という選択肢はある意味無限にあると思うのですが、昔と比べて飛躍的に
変化がある要素は、それに対する『情報量』ですよね。

インターネットで検索すれば、無限の職業と職場と会社の情報がいつでもそこに
登場してくれます。
もちろん無知であることよりも、より多くの情報を得る
ことはその人に多くのメリットをもたらすとは思います

しかし、情報が多すぎて、それに振り回されているという人達も少なからず
いるのも事実ではないでしょうか

若いときって、まだあらゆる部分が未成熟ですから、仕事をうまく進めることが
できない時間のほうが多いですよね。そんな日々が続いてしまうと・・・

『この仕事や職場って本当に自分に向いているのだろうか?』
『これは自分が不得意な分野の仕事だったのかもしれない・・・』
『もっと自分の得意なことを見つけていかないと・・・』

なんてネガティブなのかポジティブなのかわからない心の声で自問自答する時間
が増える人が多い
のかもしれません

そんな自分の思い通りにいかない日々の中で、
それが自分の得意ではなく不得意なんだと思いたいときもあることでしょう

もちろん、生まれたときからもっている資質というものは誰にでもありますので
人それぞれに得意なこと不得意なことがあるのは事実でしょう。
しかし、いろいろな人と接してきて、会ってきて感じることは、

『自分の得意は自分の努力と鍛錬で勝ち取っている人のほうが多い』

ということです。

ましては、社会人としてプロフェッショナルとしてお金を稼ぎ出すレベル
のスキルや能力を生まれたときにもっていた資質だけでできている人なんて
めちゃくちゃ限られた人だけなんだと思います。

そして、何が言いたいかというと・・・

自分の心がナイーブになって自分には

この仕事や職場は向いていないのではないかと思ったときに、
インターネットの世界にその答えを求めすぎるのは危険だということです

そりゃーどんどん探していけば、自分の今の心の状態に寄り添った情報や
その場所以外にあなたの居場所はちゃんとありますよ~なんていう、
その人にとって都合の良い情報を引っ張り出してくることはできてしまうでしょう。

心が弱くなっているとき、人は自分がそこから逃げたくなるものです
自分もそんなときは何回もありましたから、それ自体を否定するつもりは
まったくありません

しかし、そんなときにそれを後押ししてくれる情報を探そうとしたら
簡単に見つかりやすい時代なんだということが、実はデメリットではないか
という
ことなんです

一番大切なことは、そのプロセスを乗り越えて、今輝いて人生を過ごしている
先人から学ぶことではないでしょうか

その人の声を聞いて、自分がどう思うか、何を感じるか・・・

注意すべきは、そこを乗り越えることができず、
そうした自分を自己正当化したい人達が発信している
あまり重要ではない情報も、情報量の中にはたくさん混在しているということ。

でも、とても心が弱っているときって、その言葉が救いになったりもする・・・

自分の考えではありますが、一時的には救いの言葉かもしれませんが、
長い目でみると、悪のスパイラルに導く恐い言葉(情報)なのかな~
とも
思ってしまいます。
でも、心が弱っているときって、そんな冷静に判断できる
余裕はないもかもしれません

一時的救いの言葉が必要でないとは言いませんが、
その人にとって一時的に必要な情報とその人の人生にとって必要な情報は違う
ということです

そこをはき違えないでほしいですし、そのときの自分にとって都合の良い情報の
すべてを鵜呑みにしすぎるのもよくない
なと思います

あまり重要ではない自分にとって都合のよい情報にのっかって(振り回されて?)
生きている人が昔よりも増えているかもしれない・・・そんな風に思っています。
ありがたい環境変化の中で起こっているちょっとした弊害なのかもしれないなと

そのプロセスに半分くらい足を突っ込んでいる人の相談にのることもけっこう
ありますが、そんな話をお伝えすることもありますね。

確かに、自分に都合がよい情報を集めて自己正当化したい気持ちはわかるのですが、
そして、

「得意ではなかった・・・」
「私には向いていなかった・・・」

と済ますことができることも事実ですが、
その未来の継続をイメージしたときに、その本人は自分の得意に一生会えない
人になってしまうだろうなと、勝手に心配してしまう自分がいるんですよね

『本当の得意がない人生ってつまらない』

別にそれが仕事でなくてもいいと思いますし、趣味やスポーツなど
何でもよいのですが、ある程度の努力と鍛錬のプロセスの中で磨かれた得意のほうが、
個人的には本当の得意なような気がしています

本当の得意を持つと、人の役に立てたり、人に感謝されたり、信頼されたり
それを通じて本当の仲間ができたり・・・だからおもしろい人生になる

そんな感じでしょうか

以前から似たようなテーマで「成長曲線」の話をしてきました。
そちらの記事も以下に掲載しておきますので、合わせてお読みいただけると
うれしいです。(クリックしてご覧ください。)

「成長曲線 ~努力した時間と成長は正比例しない??~」

ちょっと昔過ぎる根性論を推奨しているわけではもちろんございません。
大切なことは・・・

『自分自身をそんな簡単に見限るな!!』

『知りもしない人の都合の良い情報にのっかって自分を見限るな!!』

ということなんだと思いますし、それが自分を大切にするということでしょう。

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