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選択肢があるから面白い?? ~本能的選択眼を磨いていく~

20200804

梅雨も明けて、だいぶ夏らしい日が続いていますね
さて、今年の夏はどうやって過ごそうか??
なんて頭を悩ませている人もいることでしょう。

最近のコロナの状況からすると、政府や都道府県がなんらかの宣言を
発令するなんてことも現実味を帯びてきたように感じています

それによって、人々の活動や行動は当然制限されて窮屈に感じる人
いるでしょうし、制限されることによって逆にちょっと安心する人もいるでしょう。

つまり・・・
選択肢を制限されたときに、どんな感覚で受け止めるかは人によって異なる
わけですよね
同じ人間でも、そのときに自分が置かれた状況によってその受け止め方は変わる
ことがありますよね。

例えば、このようなコロナの状況下で、正しい情報とデータは与えるから
あとは自己責任と自己判断で行動してくださいね~と言われたとする・・・

『選択肢は自分で決めていいよ』

ということですが、”それはいいことだ” ”ありがたい”という反応もあれば
そんなことしたら、”世界が混乱するだけだ” ”責任放棄か!!”なんて反応も
あることでしょう

別にどちらがいいとか悪いとかを言いたいわけではないのですが、
本質論で言えば、最終的な責任者は自分自身である・・・と自分は思っています

そのような前提であれば、選択肢が多いほうが、自分の判断の幅が広がるから
ありがたいと思えてきます。
そして、正しい情報と正確なデータがあれば
行動するための選択肢を絞り込みやすくなります

でも、自責思考ではなく他責思考の傾向が強い人ほど、責任者が誰で、その人が
何を言うかに一喜一憂して、何か悪いほうにモノゴトが進んだらその人のせいにして

つまり、自分ではなく誰かが決めた、もしくは決めてくれたことに対して
反応していく・・・
それはちょっとした責任逃れグセではないかと思ってしまいます

原点に戻って考えてみると・・・

野生動物なんかは、食料や餌になるものがなくなったら当然そこから移動します。
その場で、危険を予期したり、察知したら、当然逃げます

それらの選択は、誰かにそうしろと言われたわけではなく、本能的感覚が
そうさせているわけで、その選択を間違えたら死がまっている究極の選択
だったりしますよね

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その本能的選択眼が長けているものは生き残り、そうでないものは死んでいく。
とても厳しい環境、リアルな環境がそこにはあるでしょう。

この選択や判断の能力も日々のトレーニングであり、野生動物の例ではないですが、
責任の伴う選択や判断から逃げていると、その本能的感覚や選択眼はなかなか
レベルアップしていくことは難しい
と思っています。

 なんとなく感じていることは、『選択肢の依存傾向』が強い人達が増えている
かもな・・・ということ。

フリーで考えるということが苦手で、誰かが指示を出してくれないと動こうとしない
とか、選択肢がたくさんありすぎると、それが自由だという受け止め方よりも
自分で決めなくてはいけないちょっとした恐れみたいなことを感じる人も
増えているような気がしています。

でも、それをいつまでもやっていると・・・
いざという時、即座に的確な判断しなければいけないときに、
本能的感覚や選択眼が鍛えられていないので、フリーズしてしまうと思うんですよね。

傍観者になったり、臨機応変に行動できなかったり・・・

Aさん:選択肢がたくさんあるから面白い

Bさん:選択肢がたくさんあると怖くて自分で決められない

同じ状況に身を置いても、上記のような受け止め方の違いがあるわけです。

子どもの頃は、Aさんの傾向が強かったのに、大人になるにつれてBさんの傾向
が強くなっていく人もいるように思いますね。

選択する機会を抑制されてきた人に多い傾向ではないでしょうか
そういう人に会うと・・・
誰かが選択したレールの上を歩きすぎたんだろうな~と思ったりします。
そういう環境に身を置いてきたのかなと。

生きる力とよく言いますが、その1つとして大きいと自分が思っているのは

『本能的選択眼』

「究極の判断力は、理屈ではなく感覚的、反射的にわかることである」

と以前、誰かに言われたことがあるのですが、それって、勝手に身に付くもの
ではなくて、”責任の伴う選択と判断”を人生の中で何度も繰り返していく中で
身に付いていくもの
だと思っています

それを繰り返す時間の中でこそ、”生きる力”が蓄積されていくという
ことではないでしょうか。

だから、子ども達にはある程度の選択肢を与えて、自分で判断して決める
という経験を積ませてあげることが大切だ
と思っています
状況や個人差に応じて、そのさじ加減をするのが、まわりにいる大人たちの
大切な役割なのかなとも思っています。

段階的トレーニングを積んでないで、いきなり社会に出て、責任の重い選択と判断
をしろと言われたら、それは誰でもフリーズしてしまうでしょう

ある意味、野生動物からだって、そういう生きるための要素は学べる
部分がたくさんあるのではないでしょうか。

昔のようないわゆる終身雇用制度がおそらく崩壊していくであろう
近い将来に向けて、『本能的選択眼』を意識的に鍛えていくという
プロセスは大事だと思います

そういうプロセスを意識的にとるということもある意味、選択眼でしょうね~

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