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視座力を磨く!! ~立場的前提と物事をどの位置から捉えるか~

20210127

前回のブログで、最後の仕上げが大切だ
だから・・・ということで、以下の文章を書きました。

最後の仕上げって、自分や自分達以外の第三者や専門家に
聞いてみたり見てもらったりすることも大切なのかもしれませんよね
そこで、自分では気づかなかった、思い込んでいた何かが発見される。
それをちゃんと受容してパーフェクトな仕上げに近づけていく。
自分だけで完璧に仕上げることはなかなか難しいのかなと・・・

つまり、自分以外の誰かに聞いてみたり、見てもらうことが
より良い仕上げレベルにするために有効であるという考え方
なのですが、
それはなぜか?というお話を今日はしてきたいと思います

そこで登場するのが『視座』という言葉。

視座とは何か??

『”物事をどの位置から捉えるか”という物事を見る上での立場』

同じものを見るにしても、どの立場で見るか、
どの位置から見るかによって見え方は違ってきます。 
 
視座の置き方次第で、今まで発想できなかった可能性を切り拓くこともできる。
それは、立場的前提を覆す行為とも言える。

『立場的前提』

これって必ずあると思うんですよね

例えば、コロナ過において、観光ビジネスに関わる方々、飲食業に関わる方々
の立場的前提と医療関係者の方々の立場的前提は大きく異なる

だから、もちろんコロナ過での物事の捉え方や考え方が違ってしまうのは当然のこと。
それが、今まさに世の中で起こっている最中・・・

一方ではGOTOキャンペーンの予算を使ってもっと人の動きを活性化してほしい。
一方では、そんなことは全くナンセンスで人の動きを今こそ止めないといけない。

例えば、コンサルタント活動をしているとよくその合間に入って調整する
機会が訪れるのが、
『経営の視座』と『現場の視座』

経営者的視座では、大局的に高い位置から中長期的に物事を見ていくことが
必要となる。現場的視座では、目の前で起こっている具体的な現象や事象を
見ていくことが必要となる

だから、当然お互いに立場的前提が異なるので、意見や考え方の相違が発生
しやすいわけです。

これらの事例は、そこに介在している人々の立場的前提が違うからこそ起こる、
意見や考え方の相違

という背景を踏まえて考えると、そこに介在する人の立場が違えば違うほど
そこで起こっている物事に対する見え方や捉え方や考え方にズレ幅が生じて
いくということ
でしょう

つまり、すべての人達にとって完全パーフェクトなものって存在しないのかな
と思っています。

『誰かにとっての最適は誰かにとっての不適かもしれません』

だから、仕上げの段階で意識すべきなのは・・・

『部分最適をなるべく全体最適に近づけようとすること』

そのためには、単独で考えるということではなく、立場的前提が異なり、
物事を見る位置が異なる、自分以外の誰かの意見や考え方も踏まえて
仕上げていくことが大切
ですよね。

例えば、自分がある社長や園長先生にご自身の後継者育成について相談された
ときに必ず言うことは・・・

『すぐに自分達の組織に入れるのではなく、一度外に出して修行させた
 ほうがいいですよ。』

ということ。

なぜなのかは簡単で、立場的前提が異なる体験をより広く深く
しておいたほうが、将来的に組織のトップやリーダーになっていく上で
絶対に役に立つ
からです

昨日も弊社CLPがこれから段階的に展開していきたいなと考えている
地域密着型コミュニティ創造事業”・・・『湘南クロスライフプロジェクト』
の概要イメージを知り合いの社長と打ち合わせ。
その時間を通じて、自分がイメージしていたことを実現するにはいくつかの
壁があることもアドバイスしてもらいました。

そうやって構想や企画をアレンジしながら仕上げていってカタチにしていく
ことで、成功確率を上げるためには、視座が異なる人から学ぶ必要がある
考えています

今回は『視座』という言葉でお伝えしていますが、個人的にこの概念で
よく活用しているフレーズは・・・

『多面的思考』という言葉。

意味合いとしては全く同じです。何かの判断をしていくときや実行プランを
まとめていくときに、必ず付け加えてほしいとお願いしていることですね。

自分達と立場が違う、視座が違う人だったらどう捉えるか??

例えば、子どもだったら、保護者だったら、まったく自分達のことを知らない人だったら
などなど、そうすることで、全体最適に近づけていく。
もちろん、逆の発想も必要で、ターゲットを明確に絞ってその人にとっての
最適に仕上げていくという考え方も大切ですよね。

そこは、その状況に応じて臨機応変にやっていく必要があると思います

たまに、誰かと誰かが議論していて意見がまとまらないシーンをテレビで
見たり、実際にその現場に遭遇したりしますが、そこで思うのは、
立場的前提がまったく違うんだからいつまでたってもそれはまとまらないだろうな
ということですね

成熟した人間であれば、そういう背景があることをちゃんと理解して、
互いの立場を尊重しながらその場を上手く調整していく役割を果たすことでしょう

そうでない未成熟の人達は、視座の調整もせず、一方的に自分の立場における
部分最適を押し通そうとする。それはただの自分最適なのかもしれませんよね~

今日は、最後の仕上げのレベルアップに向けて、”視座力を磨く”ことの必要性
について書いてみました。

お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。 

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