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肩書を通じた居場所のリスク!! ~対応調整を鵜呑みにしない~

20210204

先日、コンサルティング先の認定こども園にて、園長先生と話していたときに、
トップの引き際についての話をする機会がありました。

経営コンサルタントとしてそれなりの期間、仕事をしてきた中で、
トップの引き際と後継問題については、よく相談される案件でもありますね

いくつかのパターンがあるとは思うのですが、
大きく分けてしまうと・・・

Aパターンは、すんなりしかるべきタイミングで引き継ぐパターン
Bパターンは、なんだか引き継ぎのタイミングを逃し、ずるずると居座るパターン

現状のトップの相談にものるし、引き継ぐ予定の後継者の相談にものる中で、
そこに親子関係などの因子がからんでしまって問題発生しているケース
多いように感じています
現場としては、ただの親子げんかを職場に持ち込まないで・・・なんて
思っている人達も多かったりする

個人的に思うことは・・・

肩書による評価に依存してきてしまった人は、
その肩書を失うことによるネガティブなイメージが先行してしまい、
それが恐れとなって、引き際のタイミングを逃してしまうのかなということ

全員とはいいませんが、出会ってきたトップの中で何人かそんな感じを
受ける人もいるなと感じています

一般的に、理事長とか園長とか社長という肩書があると、
その人の肩書をベースに反応を変える人は多いと思うんですよね~
でも、それって、1人の人間としての評価というよりも、
肩書による社会人としての対応調整にすぎないわけです。

現実的に、自分自身の事例で言えば・・・
自分の情報提供を最低限で話しているときと、実は会社を経営していますと名刺を
お渡しするとちょっと反応が変わる人がいますし、本も出版していると情報を
付け加えると急に”先生”だなんて読んでくれる人もいたりします。

そこで注意したほうがいいのは、『勘違いしないこと』ですかね
その人の人となりといいますか、人間性や人間力による評価でないわけですから、
ただの”対応調整”だと認識すべきでしょう。

でも、世の中には、その対応調整を鵜呑みにしすぎてしまって、
いつの間にか、ただの肩書による評価に酔ってしまう人が多い
のかなと思っています。
そういうことに、若い年齢ステージで気づくことができればよいのですが、
けっこうな年齢まで酔い続けてしまうと、それが更に悪化する人もちらほら

世の中で本当に優秀で実績も残されて、あらゆる人達から慕われている人
の特徴を1つあげるとすれば・・・

『誰にでも誠実で謙虚であること』

そういう人に出会うと、自分が年齢を重ねて行っても
そうあり続けるようにしたいと思わされます

ところが、肩書に酔って、誠実さや謙虚さを欠いて、まわりの人達に
かなり偉そうに立ち回る人に出会うこともあります

そんな人と接して思うことは、あなたのまわりにいる人の多くは、
あなたの肩書に対する対応調整をしているだけで、本当の意味であなたを
慕っている人はそんなに多くないのでは??
ということ

若いうちであれば、そんな実態に気づかされる現象が発生したり、指摘してくれたり
する人が登場して自己修正するチャンスも何度かは与えられると思います
しかし、ある程度の年齢になってしまうと、沁みついてしまうし、
あまり指摘してくれる人なんていなくなりますから、自己修正しずらくなっていく
のが人間
なのかなと思っています

そうやって肩書に依存してきた人間は、残念ながら
『肩書を通じた居場所』しかないという現実にやがてさらされることになる。

このブログでは『居場所』というフレーズが何度か登場しているのですが、
自分としては・・・

『人生は自分が輝ける居場所を見つけていくプロセス』

という考えがあります。その内容については以下にブログリンクさせていただきます。

人生は自分が輝ける居場所を見つけていくプロセス!!

すんなりと引き際を決めて、次の世代に託すことができる人というのは、
おそらく、今の居場所がなくなったとしても、いくつかの居場所を人生の中で
すでに築いてきているためそこに固執する必要がない。

だからこそ、後継することにあまりネガティブなイメージもないんだと思います

しかし、肩書に酔い続けてしまった結果として『肩書を通じた居場所』しか
ない人にとって、その居場所を失うことは、すなわち、自分の居場所がなくなって
しまうということになる

だから、そこに恐れという気持ちが発生するのでしょう
そこから次に向かう自分への今以上の光がぜんぜん見えないんだと思います。

それを、意識的というよりも無意識のレベルでわかっていて、
それが、その肩書と居場所に固執していつまでも居座るという行為に
つながっちゃうのかなというのが、自分としての見解ですかね

経営者や組織のオーナー的立場の人間であれば、そこに居座るということも
自分自身の一存でできてしまう人も多いので、更に居座る傾向が強い

サラリーマンの人で言うと、そこは定年というシステムがあるので、
半強制的に、その居場所を失う人がいて、肩書に酔い続けてきた人は
突然、居場所を失って、家庭にも居場所がなかったりして、急に邪魔者扱い
される中で、ふと気づいてしまう。自分の本当の居場所がないと

ひどい場合には、定年後に鬱病になってしまう人もいるようですね

よく定年前に自分の趣味を持ちましょうというのは、とりあえず
段階的に自分の居場所をつくっておきましょうとも言い換えられるのかなと

やはり・・・

肩書を通じた居場所だけだと、人生を本質的に楽しむということは難しい
1つの居場所だけに固執しすぎるのも、人生を楽しむための幅や深さが
でてこない。

できれば、そういうことを自分よりも若い世代の人達が頭に入れてもらう
ことで、人生の勘違いに対するリスクヘッジにつなげていただけたらと思います。

今日は、トップの引き際と後継問題というテーマを通じて、
自分なりに思いあたる見解について少し書いてみました。

お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。

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