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そこまでのプロセスが最高の涙へとつながる ~勝ち負けよりも大切なことがある~

10月に入って多くの幼稚園で運動会が開催されています。我が息子(年長)も先週の土曜日に幼稚園生活最後の運動会でした。

前日はけっこうな量の雨が降っていたので、お手伝いの保護者に混じって私も当日の朝5時に起きて、皆さんと園庭整備。砂場から砂を運んで、水たまりを埋めて整地して・・・1時間くらいかけて、なんとか子ども達が普段と同じコンディションで運動会ができる状態になりました。

コロナへの配慮もあって、年長&年中クラスが先週、そして明日が年少クラスの運動会。昔のように朝から夕方まで、家族&親戚総出で応援するスタイルというのももう古い感じなんでしょうね。自分が経験した運動会のイメージはそういうものでしたが・・・

でも、分散スタイルにもそれはそれでメリットがあるなと思いますね。必死で場所とりをすることも必要ないですし、今回は一番前でじっくりと見ることができました。

なんといっても、年長クラスのクラス対応リレー(2クラス対抗)が運動会のクライマックスであり、子ども達も見ている保護者も一番興奮する時間となります。

そして、最終結果は・・・・『敗戦』

序盤は、我が子のクラスが勝っていたのですが、中盤から終盤にかけて良い勝負となり、最後から3人目の我が子のバトン受け渡しのところでほとんど並んで、バトンパスが少し混乱している間に、順位が入れ替わり、我が子は再逆転の立役者にはなれず、次の走者が追いつこうと必死で追いかけたけれど第3コーナーで転倒、そこで勝負ありで、さすがにアンカーは追いつけず・・・といった流れとなりました。

敗戦の瞬間、我が子を捉えたビデオの映像越しに、肩を震わせながら大粒の涙を流す息子の姿が。

そんな息子の姿を見ながら目をウルウルさせているパパ。そして、弟の姿を見ながら、弟よりも涙を流しているお姉ちゃんの姿。

本人はしばらく前から、毎朝自主的にクラスの友達に自ら声掛けをして、リレーの練習をしていたらしく、家でもリレーに向けて、頑張ろうとしている言動はよくしていたので、現実を受け入れることが、とても悔しかったのでしょう。

お姉ちゃんとケンカしてとか、両親に怒られてとか、転んでとか、怪我をしてとか、そんな理由で泣いている姿は日常茶飯事なのですが、今回の我が子が流した涙は、それらのどれとも異なる涙。

自分の気持ちに素直に、肩を震わせながら大粒の涙を流している息子をフィルター越しに見ながら、我が子にとっては、今まで流してきた涙とは比較にならないレベルの

『最高の涙』

の瞬間に立ち会えたなと思い、更に心が震えましたね~

だから、息子には言いませんが、なんだか負けてよかったかもと思っている自分もいて・・・

『勝ち負けよりも大事なことがある』

それを息子に伝えるチャンスだと思えたので。それは・・・

『勝ちたいと思ってそこまで頑張って練習してきたプロセスに価値がある』ということ。

本気で練習してきたから、夢中になって取り組んできたから、皆と一緒に頑張ってきたから、そこまで悔しい気持ちを体感することができたんだということ。

適当に練習して、やる気もなく取り組んでいたら、涙のひとつもでないということ。

保護者向けの子育てや幼児教育がテーマの講演会のご依頼をいただくときには必ずお伝えしていることがあるのですが、それは・・・

『人間の器は喜怒哀楽の振れ幅なり』

日々生きて行く中で、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだり、感情のふれ幅が大きいほど、器が大きくなる。

それは、そういう感情になったことがある人であれば、自分でない人が同じような場面に遭遇したときに、その人の気持ちを受け止めることができる。それが、いわゆる”器の大きさ”となる。

そんなことをお伝えしていますし、これは自分の経験値で学んできたことでもあります。

我が子には少なくとも、冷めた人間にはなってほしくないと思っています。何かに夢中になっている時間をより多くしてほしいし、やるときは本気で真剣に取り組んでほしい。

『夢中と本気と真剣の中で、喜怒哀楽をたくさん味わうこと』

それが、人間としての器を大きく育てていくためにとても重要なことだと思っているからです。言い方を変えれば、『夢中と本気と真剣が喜怒哀楽のふれ幅をもたらす』ということですよね。

運動会で行われる議論であるのが、”競争環境の是非”について。

このテーマに対する意見は人それぞれでいいと思いますが、個人的には競争環境の体験は若いときほどしておいたほうがいいという考え方を持っています。社会にでれば、否応なしに競争環境に身をさらすことはどうしてもありますよね。もちろん、レッドオーシャンとブルーオーシャンの考え方があるように、なるべく競争がない市場で競争せずに勝つという考え方のほうが賢い!!というのも一理あります。

自分も社会人を長らく体験して、会社の経営者となり、そして経営コンサルタントとして活動してきた経験則を経て、無駄な競争と必要な競争の分別は以前よりもできるようになってきたと思います。でも、確実に言えるのは、競争環境があって、ライバルがいたから成長できた自分がいるということ。

そのプロセスの中にはたくさんの喜怒哀楽があって、いろいろな反省や軌道修正があって、その結果として成長できた自分がいて、今があるということ。だから、段階的に人間としての成熟度が増していく中で、競争せずに効果的な成果や結果を出していくという賢さを身に着けていけばよいわけで、最初から競争をなるべく避けてというのは何か違和感があるのです。目の前にある競争に臆病になってただひたすら逃げ続けるという行為をすることがクセになってしまったら、将来危険ですよね。どこに行っても現実と向き合えずフェードアウトを繰り返す人生が待っていることでしょう。

『将来競争をしなくてもいいように、今競争環境に身を置く』

そんな感覚も大事なのではないでしょうか。

正々堂々とちゃんとしたルールがあり、同じ条件下で競争できる環境というのは、実は大人になればなるほど存在しなくなります。

それぞれ抱えている背景や条件が同じというのはなくなっていきますので・・・

だから、子どもの頃の運動会のようなちゃんとしたルールと同じ条件で競争できる体験というのは実は貴重なのかなと思うのです。そこで、一生懸命全力で頑張るということ、そして頑張っている仲間を全力で応援するということ、そんなシーンを見ていると単純に素敵なシーンだなと思うのです。

そういう意味で、今回、我が子がリレーの後に見せてくれた涙は『最高の涙』なのかなと。

こういう涙を流せたとき、人は成長しますし、人間としてサイズアップしていきます。

弟の最高の涙を見ながら、自分事のように大泣きしている娘もそうですが、2人とも競争環境に対して一生懸命真剣に取り組もうとする姿勢は持っているので、そこは大切にしてほしいなと思います。自分の過去を振り返っても、運動会のときは夢中で取り組んでいたことを思い出しますし、両親もそんな自分を見て練習に付き合ってくれたし、アドバイスもくれたし、そして興奮しながら応援してくれたことを思い出します。

ということで、親としてのアプローチや考え方も子どもに影響を与えているのでしょう。親がいろいろな取り組みに冷めた姿勢でいたら、それを見ている子ども達は、これから将来、何かに夢中になるとか本気になるとか真剣になるという姿勢が身に付かないと思うのです。いざというときに、エネルギーや熱量を自家発電できない人になってしまう・・・

自分としては、我が子たちには、いざというときに、エネルギーや熱量を自家発電して、まわりにもそのパワーを与えて行けるような人間になってほしいと思っています。そういう人が自然とまわりに頼りにされてリーダーになっていくと思うからです。

まあ、我が子が運動会のリレーで負けて、泣いている姿を見ながらこんなことまで考えている親もあまりいないかもしれませんが、自分も心がすごく動かされるシーンだったので、ちゃんと整理しておきたいと思いました。

お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。

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