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人間が1日にしている判断の回数は35000回!! ~本能的選択眼が長けているものは生き残り、そうでないものは死んでいく~

先日、ケンブリッジ大学で行った研究結果として・・・

人間が1日にしている判断の回数は、『35000回』

という記事が目にとまりました。

1日にそれだけの回数の判断をしているのだから、一生で判断をしたり、決断をしたり、選択をしたりする回数はとてつもない数字になりますよね。

今、多くの幼稚園でかつてたくさんいた園児がいなくなり、園児数減少を強いられている中で、未来に生き残るためのトップの経営判断や選択眼が本当に問われているし、そこが数年後に大きな差になっていくだろうなと思っています。今の運営スタイルのままで継続するか、それとも新しいモデルへと変革していくことを選択するのか?その判断はトップの自由。

ということで、今日のテーマは『選択眼と決断力』

例えば、だいぶコロナの影響はなくなりつつありますが、以前のコロナの状況下で、正しい情報とデータは与えるからあとは自己責任と自己判断で行動してくださいね~と言われたとする・・・

『選択肢は自分で決めていいよ』

ということですが、”それはいいことだ” ”ありがたい”という反応もあればそんなことしたら、”世界が混乱するだけだ” ”責任放棄か!!”なんて反応もあることでしょう。

そんな状況の中で、私たち夫婦はいろいろな方々からの情報収集をした結果として、ワクチン接種は二人ともしませんでした。でも、まわりの大多数の方々はワクチンを打っている・・・

別にどちらがいいとか悪いとかを言いたいわけではないのですが、本質論で言えば、最終的な責任者は自分自身である・・・と自分は思っています。

そのような前提であれば、選択肢が多いほうが、自分の判断の幅が広がるからありがたいと思えてきます。そして、正しい情報と正確なデータがあれば行動するための判断を絞り込みやすくなります。

でも、自責思考ではなく他責思考の傾向が強い人ほど、責任者が誰で、その人が何を言うかに一喜一憂して、何か悪いほうにモノゴトが進んだらその人のせいにして。

つまり、自分ではなく誰かが決めた、もしくは決めてくれたことに対して反応していく・・・それはちょっとした責任逃れグセではないかと思ってしまいます。

原点に戻って考えてみると・・・

野生動物は、食料や餌になるものがなくなったら当然そこから移動します。その場で、危険を予期したり、察知したら、当然逃げます。

それらの選択は、誰かにそうしろと言われたわけではなく、本能的感覚がそうさせているわけで、その判断を間違えたら死がまっている究極の決断だったりしますよね。

本能的選択眼が長けているものは生き残り、そうでないものは死んでいく。

とても厳しい環境、リアルな環境がそこにはあるでしょう。

この選択や判断の能力も日々のトレーニングであり、野生動物の例ではないですが、責任の伴う選択や判断から逃げていると、その本能的感覚や選択眼はなかなかレベルアップしていくことは難しいと思っています。

 なんとなく感じていることは、『選択肢や決断の依存傾向』が強い人達が増えているかもな・・・ということ。

フリーで考えるということが苦手で、誰かが指示を出してくれないと動こうとしないとか、選択肢がたくさんありすぎると、それが自由だという受け止め方よりも自分で決めなくてはいけないちょっとした恐れみたいなことを感じる人も増えているような気がしています。

でも、それをいつまでもやっていると・・・いざという時、即座に的確な判断しなければいけないときに、本能的感覚や選択眼が鍛えられていないので、フリーズしてしまうと思うんですよね。傍観者になったり、臨機応変に行動できなかったり・・・

Aさん:選択肢がたくさんあるから面白い

Bさん:選択肢がたくさんあると怖くて自分で決められない

同じ状況に身を置いても、上記のような受け止め方の違いがあるわけです。

子どもの頃は、Aさんの傾向が強かったのに、大人になるにつれてBさんの傾向が強くなっていく人もいるように思いますね。選択する機会や決断する機会を抑制されてきた人に多い傾向ではないでしょうか。

そういう人に会うと・・・誰かが選択したレールの上を歩きすぎたんだろうな~と思ったりします。そういう環境に身を置いてきたのかなと。

生きる力とよく言いますが、その1つとして大きいと自分が思っているのは

『本能的選択眼』

「究極の判断は、理屈ではなく感覚的、反射的にわかることである」

と以前、誰かに言われたことがあるのですが、それって、勝手に身に付くものではなくて、”責任の伴う選択と判断”を人生の中で何度も繰り返していく中で身に付いていくものだと思っています。

それを繰り返す時間の中でこそ、”生きる力”が蓄積されていくということではないでしょうか。

だから、子ども達にはある程度の選択肢を与えて、自分で判断して決めるという経験を積ませてあげることが大切だと思っています。状況や個人差に応じて、そのさじ加減をするのが、まわりにいる大人たちの大切な役割なのかなとも思っています。

段階的トレーニングを積んでいなくて、いきなり社会に出て、責任の重い選択と判断をしろと言われたら、それは誰でもフリーズしてしまうでしょう。

やはり、時代の半歩先の選択眼と決断力をもっているトップが成功していると思いますし、そういう方々はいつでも情報のインプットを怠りませんよね。

情報がたくさん手に入り、時代の流れがスピーディーに動いていく中だからこそ、『本能的選択眼』を意識的に鍛えていくというプロセスは大事だと思います。

そういうプロセスを意識的にとるということもある意味、選択眼でしょうね。

我が家は娘がインフルエンザで学校を休んでいて、そしておそらく今日から奥さんがインフルエンザに・・・

この状況下では、自分が踏ん張らないといけませんね!!

お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。

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