木しか見えていない人と森が見えている人の差? ~部分最適と全体最適~
- 2026.03.24
- MESSAGEPERSONAL COACHING

部分だけに注目しすぎて、全体像が見えていないと、最終的には間違った判断をしてしまう・・・
それを『木を見て、森を見ず』という言葉で表現したりしますよね。
自分も経営コンサルタントとして活動している時間は、特に意識していることかもしれません。以前の会社では、よくこんな言葉を伝えられていました。
『マクロに判断して、ミクロに行動せよ』
人間は、どうしても同じ環境で同じ人達と過ごしている時間が多くなればなるほど、いつの間にか「井の中の蛙」状態になって、自分ではそう思っていなくても、思考の幅や視点が狭くなってしまうものです。
マクロな思考や視点を持つためには、そのような環境から一歩抜け出して全体を俯瞰的に見るトレーニングが必要なのでしょう。
『部分最適と全体最適』
という言葉がありますが、部分的とか、短期的には間違っていないことも全体的には間違っていることもあり、時が経つにつれて思っていたことと実態がずれていったり・・・そんな現象が日々世の中のあちらこちらで発生している。
これらは、意識的にトレーニングすることと経験値によってある程度克服していけるとは思うのですが、もともと持っている資質的な部分も大きく影響しているのかなと思っています。
『人生のプロセスの中には、その場ではとても理不尽な思いをしても、マクロな視点で考えた場合には、そこをぐっとこらえて、前に進むために、謝罪したり納得できないながらも、なんとか問題をクリアしていかなければならないことがあります。』
自分もそんな経験、今まで数えきれないほどあります。でもそれって人間として成長するためのトレーニングタイムだと思うんです。
部分最適しか考えられない人同士が、それぞれの意見の食い違いから言い争いをしている場面に遭遇することもありますが、一時は必要なことかもしれませんが、それを、やり続けることにメリットはあるのか??
第三者的立場から見ると、やり続けることは逆にデメリットのほうが多いと思ってしまいます。貴重な時間がどんどん失われていく・・・最終的には、ただの意地の張り合い、無意味なプライド合戦に突入しているパターンが多いような気がします。
そこにうまく介入して、「まあまあまあ・・・」と言いながら、部分的には正しくても全体的には間違っている食い違いを調整して、コトを前に進めていける人が、森が見えている人なんだと思いますね。
いろいろな現場でコンサルタントとして活動していると、そういう場面がとても多いことを実感しています。
それぞれの意見を個別に聞いてみると、別に間違っているとは思えないわけですが、それらを組織の違う立場の人たちで合わせていくとそれぞれの食い違いが発生してしまうというパターン。
結論的なことから言えば・・・
『立場と環境が違う人がいれば、考え方や正しいと思っていることには必ず食い違いが発生する』
だから、組織やチームにとってそれは珍しいことでもなんでもなくて当たり前の現象なんだと思います。
だからこそ、そこで必要なのは、『リーダーシップ力』なのでしょう。それらの意見を調整してまとめて、全体が前に進む原動力をある程度維持しながら、問題をクリアしていく能力とでもいいましょうか・・・
『日々発生し続ける矛盾や食い違いの調整を行っていくこと』
これも、現実的にリーダーに求められる能力だと思います。
たまに、トップやリーダー的立場にいる人が、部分最適しか考えられていない場面にも遭遇しますが、まだまだトレーニングが不十分なステージなんだろうなと感じます。
そういう人は、ずる賢い後輩や若手にうまく使われてしまう傾向があります。それに加えて、それなりのレベルを持った若手には、呆れられている場合が多いですかね。
でも、思考が全体ではなく部分しか見えていないですから、自分がそうされている、そうなっていることにさえ気づいていない方がとても多い。自分自身を俯瞰的に客観的に見ることができる能力もとても大切だということでしょう。
『身の程知らず』
という言葉がありますが、やはり自分の置かれている環境や状況を部分的にしか捉えることができなければ、ある意味で”身の程知らず”と言われる傾向が強いでしょう。組織全体、世の中全体を知った上での自分の身の程をちゃんとわきまえるということはとても大切なことだと思っています。
部分最適に陥らず、全体最適な判断や行動をできるようになるためには、そのような意識を持って、日々の生活や仕事の中でトレーニングを積んでいくことが必要なのでしょう。
お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。
