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無意識に蓄積されているプチ罪悪感?? ~相手の世界観に敬意を払う~

 

ワールドカップで当たり前ですが、日本を応援しているわけですが、個人的にはイングランドも応援しているので、今日は朝早く起きて、試合観戦。

ガーナと引き分けに終わりましたが、ガーナが守備を頑張ったなという印象でしょうか。

さて本日のテーマに・・・

『あらゆることに敬意を払う』

誰かの行動や言動にいらいらしたり、想定外の事態に直面して気持ちが動揺してモノや人にあたりたくなったときに心の中で自分が唱えたり、意識している言葉(信念)。

皆さんも完璧ではないでしょうから、相手やモノに敬意をは払えない行動や言動をしてしまうときは、どうしてもあることでしょう。

「あいつせいでなんで自分がこんな破目に・・・」

「ふざけるな・・・」 「むかつく・・・」 「仕返ししてやりたい・・・」

そんな言動とともに、その人にあたったり、モノにあたったり、身近な誰かにあたったりしてしまうときがある。

我が家の子ども達を見ていると、自分のイメージ通りにならなくて、いらいらしてモノにあたっているシーンをよくみかけることがあります。まあ、まだ子どもだからしょうがないと思いますが、れを大人になっても同じようにやっている人もたくさんいるわけで・・・

そんな行動や言動をして、何かや誰かにあたっているとき、その対価として本人が意識している感覚の中では「スカッとしている自分」がいるのかもしれません。

しかし、自分はそうではない重要な要素があるのかもしれないと考えています。それは・・・

『無意識に蓄積されているプチ罪悪感』

人間は、本来小さいときに、まわりの人達から少なからず善悪の判断や良い人と悪い人の違いといった認識などの教育やインプットはされてきているはず。

もちろん、その人が置かれた環境による差異はあると思いますが、日本においては、ある程度のレベルは維持されていると信じています。(最近は、そうでない場合も増えているとはしても・・・)

そんな教育やしつけやインプットの蓄積は、その人の心の中や底に必ず残っている。

そうすると、善悪の判断でどちらかと言えば、悪の判断をしてしまったとき、良い人と悪い人の認識でどちらかと言えば、悪い人の行動や言動をしてしまったとき・・・

つまり、相手やあらゆることに敬意を払えていない行動や言動をしてしまったときに、意識している部分とは別に、無意識の中に『プチ罪悪感』というものが蓄積されていっているのかな~と思うのです。

実は、そういう行動や言動をし続けてしまうと、自分の意識とは裏腹に無意識レベルでは、罪悪感で埋め尽くされていく破目になる。それに気づいていない人は、一瞬スカッとすることが、自分にとって好都合だと誤認してやり続けてしまうのかもしれない。

例えば、子育てなんかも一つの事例として挙げられるでしょう。

特に乳児期の子どもは、当然言葉は通じませんし、意思疎通も大人の都合のよいレベルではまったく機能しませんから、そんなシーンの連続で、両親はどうしてもイライラが募る場面も増えるでしょう。当然、自分もそんなシーンがちょこちょこおとずれます。

そこで、子どもに直接はあたってしまうときもあったり、それはまずいなとセーブはしたものの、その気持ちをおさめるために、モノにあたったりまわりの人にあたってみたり・・・

そんな中でも、実はその人の中に「プチ罪悪感」が蓄積されていっている。そして、その連続が重なりすぎてしまうと、いつのまにかいわゆる”心の病”に陥ったり自分自身を見失って制御できなくなっていき更なる悪循環に陥る・・・そんな事例も多いのかなと思いますね。

そうやって考えてみると・・・

『相手の世界観に敬意を払う』

『あらゆることに敬意を払う』

それを日々意識して行動や言動に気を付けて、継続していくことは、人間にとって、自分を良い状態に維持したり、コントロールするためのとても重要な要素ということでしょう。

心の奥底や無意識レベルで、「罪悪感」を強く感じながら日々生活していくのは、実はすごく心身によくない状態であることは明白です。一度の敬意を払えていない行動や言動では、そこまでにはならないでしょうが、それが、何年も幾たびも重なっていくと、大きな塊になっていくのではないでしょうか。

一見、気勢をはっているような人、強気に見えるような人、つまり強がっているような人でも、実は無意識の中に「罪悪感」が蓄積されている人は多いような気がしています。

そんな人の相談にのったり、コーチングをしたりすると、実は”すごく自信がない”なんてことがあるんですよね。他の言い方をすれば、自信のなさを悟れらないように、パフォーマンスでごまかそうと努力している人、ということになるでしょうか。

「強気な自分は意識していても、実は無意識に人はコントロールされている」

そういうことなのかもしれないな~と最近よく考えさせられますね。

自分ではそんなに意識できていなくとも、無意識の自分がちゃんと善悪の判断をしているし、良い自分と悪い自分の認識をしているのではないでしょうか。そういう意味では、人間は奥深い。

このような見解はあくまでも、私の一つの考え方に過ぎません。しかし、そうやって信じて、行動や言動を自分なりに良い方向にコントロールすることはとても重要だと思っています。

『あらゆることに敬意を払う意味』 

= 『罪悪感の蓄積』からの解放 

= 『精神と心の安定』

そういう公式が成立するというのが私なりの仮説となります。

人間は、多少の例外はあるとしても、多くの人が善悪の判断や良い人悪い人の違いの認識はちゃんと持っていると思います。だからこそ・・・

相手を大切にすることが、自分を大切にすることであり、

自分を大切にすることで、相手も大切にすることができる。

それを実現できているとき、人は充実したその人にとってポジティブな時間を過ごせている。

今日は、日々の中でイライラしてしまう自分に対して戒めの意味で大切にしている『敬意を払う』という意味について自分なりに整理してみました。

お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。

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