自分自身の中のドリームサポーターとドリームキラー ~応援できる人とつぶそうとする人~
- 2025.10.09
- MESSAGEPERSONAL COACHING
夢を持ち前に進もうとしている人に対してその人を応援しようとする人もいるし、その逆に夢に向かう人を邪魔しようとする人もいる。
成功している人に対してその人から学ぼうとする人もいるし、その人を軽蔑するためにネガティブな要素を見つけて叩こうとする人もいる。
簡単に言えば・・・
世の中には、人を応援できる人(ドリームサポーター)もいれば、他人の夢や目標を否定したり、つぶそうとする人(ドリームキラー)もいるということ。
個人的な見解になりますが、ドリームキラー傾向が強い人は、
・自己評価が低い(自己肯定感が低い・コンプレックスを持っている)
・その時になんらかの問題を抱えている(自分が満たされていない・不安定な状態)
・ネガティブマインドが思考のベースに定着している
そんな人なんだろうなと感じています。
良かれと思って心配してアプローチしている行為が、ドリームキラーになっているパターンも・・・
例えば、過保護な親もそのパターンに入るのかもしれません。以前このブログでヘリコプターペアレンツについての見解も書きましたが、
ヘリコプターペアレンツとは、自分の子どものまわりを、ヘリコプターがホバリングするかのように関わり続ける親のこと。
我が子を常に心配して、できる限り失敗させないように関わり、過干渉、過保護、あらゆるお膳立てをすることで、子ども達が経験を通して、失敗を通して学ぶ機会を奪ってしまう親のこと。
子どもに対して過度な心配がマイナスに働くパターンですが、よかれと思ってやっているけれど、そんな自分の存在が、実際には子どもの夢を潰している主な原因になっているということには気づかないわけです。
その前に、子どもが自分自身の夢を持つという発想そのものを制限してしまっているのがヘリコプターペアレンツの存在なのでしょう。本人が「自己決定力を身に付ける機会を奪っている」とも言えます。
親が決めたレールをくそまじめに生きる
⇒親が決めたゴールにたどり着いてみたら、なんだかおかしいと気づく
⇒でももう手遅れ・・・みたいな感じ??
これも立派な? ”ドリームキラー的家庭環境の成立”でしょうね。
以前、ある方の講演を聴講したときに、親として子ども達との関わり方のポイントについて学ぶ機会があったのですが、その方のメッセージにはこんな内容がありました。
①乳児期 = 「いっしょに行う」
②幼児期 = 「いっしょに遊ぶ」
③小学生 = 「いっしょに学ぶ」
④中学生 = 「いっしょに考える」
⑤高校生 = 「そばで見守る」(余分なことは言わない)
親として子どもと関わり続けるのは一緒かと思うのですが、関わり方のスタンスを成長ステージに応じて、適切に変えていくということが大切なんだと思っています。
行い、遊び、学んで、考えていくプロセスの中で、親としてその子に伝えたい価値観やスタンスを身に付けてもらい、人間としてのベースを一緒に創っていくこと。
そのベースができたら、夢に向かって進んでいく姿を見守って、必要とあらばちょっとサポートしてあげること。
まあ、言い方を変えれば、ずっとこれからその子に心配し続けなくて済むように関わり方の段階的なポイントを理解して実行していくということでしょう。
つまり、子どもが自力で夢を実現できるように関わり、育て、そして応援していく。これこそ、”ドリームサポーター的家庭環境の成立”なのかなと思っています。
あともう1つ自分で気になってしまうのは、まわりの誰かではなく、自分自身が自分のドリームキラーになっているパターン。
「こんな自分にはそんなことできるわけがない」
「今がまあまあだから、そこまで頑張らなくてもいいか」
「もし失敗したらどうしよう」
私が研修などでよく”言葉のパワー”という話をすることがありますが、うまくいかない分野で使われている危険な言葉として紹介している3つのワードが・・・
①できない ②わからない ③難しい
このような言葉を普段から何気なく使いすぎている人って、自分で自分の可能性をつぶしているわけですよね。そんな言葉が、頭と心の中に登場してきて、自分が夢に向かう推進力を減退させる。これも、各人の中で日々起こっているドリームキラー現象なんだと思います。自分もそんな自分の中のドリームキラーと常に戦っているような気がしています。
少なからず、皆さんの日々もそうではないでしょうか。
心理学で、『コンフォートゾーン』というフレーズがありますが、コンフォートとは”心地よい”と訳すことができます。
人間だれでも、心地よい環境に身を置いていたいと思うもの。大人になればなるほど、まわりの人はコンフォートゾーンに身を置いている自分に何か忠告してくれることは少なくなっていくもの。
以前、このブログでもコンフォートゾーンについて書いたことがあるので
そちらは以下にリンクしておきますね。
まあ、この記事の内容も踏まえて、総括的に自分で思うことは、ドリームキラーもドリームサポーターも自分のまわりにいる第三者というよりは、自分自身の中に存在しているという認識をもったほうがいいのかなということ。
まわりからいろいろと何かを言われたり、アドバイスされたり否定されたりすることはありますが、最終的な判断は自分でしているわけですからね。
『皆さんは自分自身に日々どのようなメッセージをおくっているでしょうか?』
自分自身のドリームサポーターなのか、ドリームキラーなのか??
Aさんに言われたからとかBさんが否定したからとか・・・第三者を何かの言い訳の材料に使ってしまう人もけっこう多いように感じます。
コンフォートゾーンを突破して次のステージへと進む推進力のベースになるのは・・・
『本人が持つ高い志や人生のビジョンであり、夢や目標に対する強い憧れ』
なんだと思います。
それが、各人のエネルギー差となって、日々の判断の差につながっているのでしょう。
もちろん、相手やまわりの人との関わり方の中で、自分がドリームキラーにならないように配慮していくこと、できればドリームサポーターになれるように関わっていくことを意識するのはとても良いことだと思います。
今日は、世の中に分散されている、そして自分自身の中に存在しているドリームサポーターとドリームキラーにに対する見解を自分の中で少し整理してみました。
お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。